あんの日記

不定期更新

吾唯足るを知る

今日は市役所に行って諸々の手続きを済ませてきました。
障害者手帳とか自立支援のね。


年金はもらえるならもらっといても良いと思う。
嫌がる人もいる。まあ自力で稼げるに越したことはないと思う。
(私の場合は10年間分の家賃になっただけだったけど、
きっともらってなかったら親に家賃免除してもらえる分肩身が狭くて
「人として自分は駄目だ」と思ってたと思う)
手帳は使う人にとっては超便利グッズだから取っておいた方が良い。


自立支援は精神科と薬だけ医療費が1割負担になる制度だけど
考えてみたくないくらい精神科にお金かかってるんだよなぁと思った。
この制度いつからあるのかわからんけど、私が掛かり始めた頃にはあった。
あってよかった。確かに3割負担で精神科に通うのはヤバい…
気軽には掛かれない額になる。簡単に治らないから年単位で掛かるし。
デイケアなんて富裕層しか来られない場所になる。
…あ、だから自由時間の事「サロン」って呼ぶのかな?
昔は「金ならある」とこの厄介者を預かる所だったのかもしれない。

 

いるんだよな…「何で?👀」って位金持ってる人って…
遠ーい親戚が法事の時「うちにはお金しかないのです!」
って叫んでて全員ドン引きしたけど
私と妹の間で現在も『言ってみたい言葉№1』です。

 


新しい靴を買いに行きました。
ヒールみたいな存在そのものが可愛い靴は嬉々として選びたいんだけど
(なぜか服とかバッグとかアクセサリーにはそういう感情が沸かない)
普段、歩いてて疲れない機能性重視の靴はどうでも良すぎて選べないので
長年コンバースを履くと決めてました。
色がたくさんあって気分で選べるし。


眼鏡ぇさんが赤い靴を履いていたから
「ああ、赤は良いな」と思って売り場で赤い靴を探したけど売り切れ
大きい赤い花の柄が入ってる赤より面白そうな靴を発見。
私の好みだったけど、似合わなかった。
なんか堪らなく惨めな気分になって一番安い…と言っても
コンバースなので5,000円だけど、灰色のマジックテープの靴にした。

母「職場(介護施設)でよく見る奴」

今の私の足に8,000円の装備は必要ない気がした。
良い靴履いたって何処にも行かないし何処にも行けないから。
デイケアの事はカウントされていない。
むしろデイケアだけなら医療機関だし「職場でよく見る奴」でOKかなと。
本当は赤い靴が履きたかった私でした。
ちゃんちゃん。


スパゲッティー屋に連れてってもらった。
ジェノベーゼがバジルで緑だという事を初めて知ったけど
味が薄くて塩かけて食べてた。

ふと窓の外に盲目の人。
いつもは駅でよく見かけるし、元バイト先に買い物に来たこともある。
インパクト強くて有名な人…って皆思ってるだろうなって人。
右手で白杖をついて、左手に黄色い紙。
紙には一言「助けてください」と書かれている。
ソレをダイナミックに前方に突き出して常に歩いているもんだから、
周りの人からは
「そりゃ目が見えないんだから助けは要るだろうけど、常にその状態だと
『そういう動きの人なのかも』って考えちゃって声をかけ辛い」
って逆に避けられてた。
前は本当に乞食みたいな風体だったし。
誰かが声を掛けて話しているのを聞いたことがあるけど、
多分喋るのにも障害ありそう。ヘレンケラーみたいだ…耳は聞こえてたけど。
でも今日見た時はスーツを着ていて身綺麗だったから、
誰かが役所か何かに相談したのかもしれない。


別のお客さんが店員さんに言ったのか、
色々話をしたりして近くの病院まで案内してた。
私も一人の時は怖いけど、店員でなら何故か話しかけられるんだよな。
給仕したり人に奉仕したりする役割りにあるから助けるのが自然なのかも。


なんとなく、たまに弱気になって「私は変だから普通の人が怖い」と言うと
母が「障害者のお前の方が怖い」と返していたのを思い出した。
私はいつも自分が障害者の立場だから、何でも出来る健常者
(『普通』の基準になってるだけで何でもできるわけじゃないけど)
怖いと思ってた。
けど道で困ってる人なら健常者の方が声掛けやすい。
障害者は声をかけたら「責任」とか「自分では出来ないかも」が過るし。
母が言ってた「障害者の方が怖い」とはまた別の意味だろうけど。

頭オカシイっぽくない印象になれたのは良い事だと思う。
オカシクはないんだろうし。知らんけど。
不本意に周りから怖がられないような恰好するのは大事。
本位であるのならご勝手に。


帰宅。落ち込む。寝る。
心が転がりそうになるのを丹田に力を入れてぐっとこらえてただ空を仰ぐ。
「大丈夫」でいるのはそんな感覚だった。
ただ私は出来ていなかったのかもしれないなと思った。
私は「私」を出来てなくて、私は「大丈夫」も出来てなかった

「気づく」という事は「わからなくて苦しむ」より一つ上の階層に来た
という事でもあるから、苦しみは多分必要だったんだろうと思う。

現実が見たかった。
現実に存在して、現実を歩いてる感じが欲しかった。
そんで本日は私の頭の中でなくて、ちゃんと現実で、
「生きるのだけでも大変だな…」って実感した…様な気がした。

泣きそうなくらい弱々しく、震えるほど寂しく
寄り添いたい程度には健気だなと思った。

 

 

いつか赤い靴を履こうね。