あんの日記

不定期更新

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誕生日でした。37歳です。元気に生きてます。

仕事に行っています。そろそろ2か月経ちます。今後どうすんだろ…

 

生きていても幸せな事は何も起こりません。

でも私は全然不幸ではないんです。

それなら生きてるだけで満足出来たら良いのになと思います。

何故生きるのが辛いと思ってしまうのかわかりません。

辛いのが当たり前のこと過ぎてわかりません。

 

私の20年。私の生きた時の半分以上は死にたいという渇望と共にありました。

足枷であり、重たい親鳥の羽檻であり、私が居なくならないための楔でした。

何の意味もなかった。

死んでおくべきだった。

最低でくだらない時間を延命させてしまって申し訳がない。

 

だけどもうどうでもいい気もする。

だってもう実は寿命の方が近かったりするかもしれないし。知らんけど

74歳が寿命だったら人生折り返し地点です。

きっついマラソンとかでもなんとか折り返し地点まで来たら

「リタイアはもう少し走ってからでも良いか」と思っちゃうし。

そんで結局ラストスパートでテンション上がって完走したりする。

まあどうでも良いんです。

生きるのは確実に辛いけど、死ぬのも上手く死ねなくて苦しいかもしれないし

命を一つ消す決断に酷く手間が掛かってとにかく面倒で未だ死ねない。

だから別に私は死んでも良いと思うことにします。

きっと私は絶対に死にたくなかったのだと思います。

 

「こんな日々は死んでいるも同じだからしっかり生きるかさっさと死ぬかしろ💢」

 

と思ってました。

『こんな日々』を送っていましたが、何が悪かったのか私にはわかりません。

私は山生まれの野育ちが突然都会のお嬢様学校に入れられたくらい

「こんなの人生じゃない!」

と思っていました。でも何が自分の人生かはわからなかったです。

絵が描きたいと言っていましたが、観察していたけど描きませんね。

必死こいて筆を持つことから逃げていました。

描きたくないのに描きた過ぎてお絵描きは哲学の域に達してました。

 

多分私は絵を描くことが私の人生だと思い込んでいるようです。

それを人に言うと、みんな私が真面目な人間に見えているらしくて

「辛いですね」とか「きっといつかまた描けるようになる」とか言うんですけど

そういうのはなんかこう…すごい画家とかがスランプ起こした時に掛けるべき

私はただ皆とまた酔っぱらって落書き💩🚽とかしてゲラゲラ笑いたいだけなんです。

作品なんて描けなくていいから誰でも描けるような落書きを楽しく描きたいだけです。

 

 

あじゃあ違うかも。描けないのは生きてても楽しくないからかも。

どうして夏の高い高い青空がこんなにも淀んでいるのかわからない。

人生が楽しくない。絵を描いても楽しくない。

お酒を飲んでも美味しいものを食べても楽しくない。

幸せを振りまいて走り回るのんちゃんと会いたくない。

つらい。つらい。つらい。

 

 あんたたちの幸せなんて全然私には幸せじゃない!!

 

私だけ別の星から来たみたいだ。

さびしい。皆さんこれで合ってますか?不安で、こわいです。

 

 

どのくらい掛かったのだろう。

信じるものを全て失ってから、自分の職と金と居場所を手に入れて

どれだけの時間をかけて私は『絵師あん』になれたのだろう。

今度はどれだけかかるだろう。

私は裏切られたし、絵だって自分から捨てた。傷ついた心もなかった事にしたかった。

身の回りの最低限の世話をしなかった。出来るだけ存在しないように振舞った。

自分からそんな扱われ方を経験した私は何年掛ければまたもとに戻れるんだろう。

 

じっと手を見る(啄木)