ご存じの通り、私の脳には発達障害がある。
コミュニケーションスキルが大分足りてないせいで
「はい、いいえ、そうなんだ、あはは」位しかセリフが
インプットされてない所謂コミュ障だ。
だが私にはユーモアがあるし想像力も逞しい
正義感も備えていていつも誰かを楽しませたい
老婆心から困ってる人にお節介も焼く。
生来の私は好奇心旺盛な明るい人間である。
けれど私は一年の内半分はうつ状態で苦しい時期がある。
とても長くて気が遠くなる日々だ。
生き地獄だった。
最初の一か月は早く抜け出したくて堪らなかった。
病気のせいだ、いつか治ると自分を宥めた。
世界が真っ暗だったから我武者羅に光を求めた。
天の啓示を受けたと嘯いては自分を奮い立たせた。
けどあまりにも長くて、長く私の思いは届かなくて
徐々に希望という感情は麻痺していった。
なに、どうせ明日も同じだと思えば辛くはない。
私は伽藍洞で世界の中心は『死』であることにも慣れていた。
ドアノブにベルトをかけて首を括る。
息が苦しい。でもその気になれば私は死ねる。
今こそ本懐を遂げようぞ。
やめた。
理由は無い。
死ぬことにも興味はなかったからだと思う。
生きたかった。でもコレじゃなかった。
この私は笑わない、嬉しくない、つまらない、可哀想だ。
耐える必要があった。
何度も経験しているから元気になることは知っていた。
ただ私はもう自分を信じられなかった。
もう私の頭上に太陽は昇らない。
それが一生でも構わないと思った。
だっていつでも死ねるから。
うつ状態は長いし生き地獄
でも鬱抜けをする時が必ず来る
それを信じて安易に死んではいけない
鬱になっているときに生き抜いていたことで
今の自分がある
そして今、私はうつを抜けることが出来た。
鬱ってのは体の痛みと同じで、痛くなくなると
もうその時の感覚を思いだすことすらできない。
私はどんどん完解していった。
笑うようになったし、嬉しい事も楽しい事も出てきた。
生きるのはしんどいけど死にたいとは思わない。
もう暗い痛みを忘れて、明るく前向きに生きていける。
・・・・。
私は、後ろ髪を引かれた。
というか、急にお日様の下に放り出されたような気がして
私の方が寂しくなって振り返ったのかもしれない。
死にたい真っ暗な日々に戻りたいわけじゃなかった。
でもなんとなく、無いものにしたくなかった。
忘れたくなかった。
だから私は物語を作ることにした。
私が越えられた様に、読んだあなたも越えられる様に。
私がうつ状態の私達=「あの子たち」に関して
思っていることは、記録に基づいた主観でしか無くて
「あの子たち」は日々死にたがっているだけだったろうし
「どうしてお前だけ元気なんだ💢」って
恨んでくる子もいると思う。
けど「あの子たち」が耐えてくれたから私はここにいる。
今の私には、ただ生きて、翌日に命を持ち越してくれた事が
「自分を信じる」精いっぱいのいじましい行為に思えた。
ただ生きている事すら苦痛だったはずなのに。
死なないでくれて本当にありがとう。
病と戦ってくれて本当にありがとう。
「あの子たち」の事を、日々を思い返しながら想像すると
胸が痛くなって涙が出る。
だから多分コレは人の心にとって大切なことなのだと思う。
描きたかった。「あの子たち」を忘れてしまう前に。
でも描いたら描いたで主観的過ぎて意味がわからない
愚作になってしまった。(オリキャラが描けて満足はした)↓
↑眼鏡チビ=「あの子たち」
緑の着物=私の理性的な部分。「あの子たち」を宥めすかして何とか延命してた。
「畑か」と問われれば畑だが、人が埋まっているので初めは「墓」とした。
「継続の」は命が続くこと。
「ダメだった」個体を埋めることで翌日に同じ様な日々を送る同個体が出現する。
↑眼鏡チビ(七代)は完解してくると等身が戻る。
これを描いたとき、私の頭の中には「足元に屍の山が詰まれ、
その頂上で私だけが光を見ているイメージ」があった。「あの子たち」だ。
「皆元気になりたかった。全員が私の様になりたかった。
きっと何か伝えたいことがあったに違いない」と思った。
殺してやりたいほどの恨みもあっただろうけど、私は『思慕』を『想像』した。
そう思った方が今の私が嬉しかったからだ。
↑この頃は『今の自分』を整理しようとしていた。
私はもう元気で何でもできるのだが、全てにおいてイマイチ自信が持てなかった。
何かが「無理」「できない」「全然駄目」等々囁くからだった。
ソレは母親の様な声をしていた。「あの子たち」を守っていた人の声だと思った。
ずっと守られていたいけど、それでは私は一人で何もできなくなってしまう。
↑母の声を振り切らなければならないと思った。
恐ろしいほどに深く、束縛する様な甘やかしを感じた。
金切り声を上げて「一人にして!!私はもう大丈夫よ!!」と叫びたかった。
しかし当の私は実の母に対してそれを行っていた。(↑こんなに優しくないけど)
ほぼ八つ当たりに近い。怒鳴ったり泣いたり、でも側にいないと不安。
それこそが甘えであることを私は知っている。
眼鏡にとって着物は母に近い存在なのかもしれない。
解説入れても意味不だった。
賢人に相談しても「あなたの話、理解不能」と言われる。
ただ
「上から見たら世界遺産でも、地上から見ればただの石の壁」
という助言を頂いたので
つまり私はマチュピチュを描きます。