あんの日記

不定期更新

生きてりゃ正解💮

昨日、運良く深夜2時ごろ眠れたので
今朝は7時に起きられました。

午前中はなんとなく、何かをするのが億劫
カーテンを開けるのも怖かったけど、思いきって
開けてみたら日差しがとても暖かくて
私はベランダにレジャーシートと座椅子と携帯を持って
天日干しになることにしました。
うつには日光が良いって聞いたし。特にひざ裏。


天日干しは1時間もしてなかったと思うけど
午後はゲームもしてられないくらい怠くなって
7時までって決めて寝ました。2時間くらい?
アラームかけないとまた深夜1時とかに
目が覚めちゃいそうで嫌なので。

 


7時。目が覚めた時、意識がはっきりするより早く
電気が走った様に不安に駆られ、咄嗟に胸に手を当て
問う


 わたしはここにいますか?


応えのない不安。何度も何度も問う。
「ここにいる」ではなく「いますか?」。自信がない。

ブラックジャックによろしく」に影響されて
自分も統合失調症になったらどうしよう?
と思ったのかも知れない。
コップは自分か?クシは自分か?カバンは自分か?
それを持つ手は自分か?何故わかるのか。
何故わからないのか。

考えてる。必死で。自分は誰か
わかって当然のはずのこと。
疑問にすら思わないはずのこと。
わからないわけがないのに。
今の私には何やら途方もない事に思えて仕方がない。

 


過去のこと、出来事、思い出、その時の感情とか
自分がどう生きていたのか、どんな反応をして
どういう考え方をする人間なのか全部知ってる
なのに自分からの「YES」という応えがない。
これが私という確信がない。

 我思う故に我在り

だから私はずっと問いかけてる。
そうですか?そうですよね?そうなんでしょ?
私が、私さえ信じてくれたら私は私になれる。
世界は変わる。

 


『我思う故に我在り』は哲学者デカルト

「全てが嘘だとしても
 疑う自分がいる限り私は存在し続ける」

って意味の言葉らしい。
最近父が私に言いまくってて
何故そんなことを言うのか正直ウザかったし
私の気持ちや病状を理解してないのが悲しくなってた。

 

…でも結局私はその言葉にたどり着いてしまった。

なんか無性に悔しかったということをここに記して置く。

 

 

 

自画像。

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これを描いたのが五月。
恐らくこの時にはもう私は干からびていた。
あれから今まで、楽しいことをたくさんした。
嬉しいこともたくさんあった。
でも「なのに何で!?」って気持ちがいつもあった。
生きるとこは辛くて気持ちの面で息切れが酷かった。

 

何気なく描いたこの絵はずっと傍らに飾ってあった。
でも「そういうもの」だとはわかってなかった。
もし私が理解して、違った日々を送る努力をしてたら?
結果は同じ。徐々に萎んで、消失する。
私は空っぽの日々を送り続ける。
地球が回ってることと同じくらいに自然現象。
でも良いの。不死鳥って、死なないんじゃなくて
生と死を繰り返す鳥のことでしょ?(手塚治虫参照)


…ドクトルマンボウ・・・作家の北 杜夫って人。
あの人も躁鬱病で、躁の時には明るい本を
鬱の時には暗い本を書いてたらしい。
(あと上がりすぎて株に手を出したり大変だったらしい)
小説の様に上手くいかなくても、あと何十年かしたら
私も自分の心に従う生活ができるようになっていたい。
無理せず。自分が思うままに。