あんの日記

不定期更新

一日限りの真理

今日は作業所が忘年会で閉所してるので参加しない私は休みでした。

髪を切りに行きました。白髪が気になったので。

普段半年以上放置してるから毎回チワワが出来る位切るけど

今回は2か月ぶりだったのであまり梳かなくて済みました。

コレで良い感じにお正月を迎えられますね🎍🌅✨

 

夕方帰ってきてからは母の人形作りを見てました。

自分が作品を作れないから自分と繋がってる様に感じているものが作品を生む事が

嬉しいんだと思います。自分で作品を作ったとほぼ同義です。

ベールは私がYouTube見て作りました。

ペットボトルのキャップの下にある輪っかで作れるのでやたら量産したくなりますね(笑)

ミシンと針と糸は使えないけど私には無敵のアロンアルフアがあるので✨

指ガッビガビになるけどw

いっぱい作って小間物アクセサリー屋さん開けたらいいね🏠🌳

 

 

死にたくなったり、心が暴走してお母さんに「どうして私は…」って縋ったりしました。

一杯考えたんです。理解したこともありました。でも一朝一夕では変われないようです💧

物事の心理にたどり着きました会話で『アレ』や『ソレ』を乱用する脳みそなので

殆ど忘れてしまいました。

『自意識』について考えました。意味は

意識の中で、いつも自分を中心にすえて考えないわけにいかないような性向の強いこと

だそうです。「自意識過剰」の方が良く聞きますよね。

私はマイナスの方に自意識過剰なのでこの「自意識」という言葉は悪いイメージが強いです。

でも自意識が低いと自己肯定感も低いからろくな事できないので

過剰でなければある程度コントロールできる範囲で高めの方が良い気がしました。

私はよく人から自己中だと言われるけど、その実自分を中心にすえて考えることの難しい人間です。

外から入ってくる情報は少なく、自分の事と自分が関心のある事しか見えてないので

必然的に偏った情報で判断をしているせいで自己中に見えるのかもしれません。

 

 

昨日の日記に「20代の頃は美しく着飾る事を周りから望まれてた」みたいな事を書きました。

それが今日の心理でした。

自分がやろうとする事には常に追い風が吹いていたし、海流の様な大きな流れも感じました。

やりたい事は何もかも自然にできるんです。体調不良とうつ以外で私を止めるものはありませんでした。

出来ると楽しかったし、いつまでもやってられました。

 

今は完全に風が止んで、海は凪いでいます。

「世間からも何も求められていない」と感じるということでもあります。

だからそんな遭難中の私が生きていくためには高く強い自意識が必要だと思ったのです。

しかし乗り物、船なのか何なのか、とにかく止まっちゃってて自力で漕がないと動きません。

遭難中の私が絵を描いたり何か作ったりする事を非常にしんどいと感じるのは

風も波も味方につけてノリに乗ってた頃と比べてしまって

今は全然進まない楽しくもないもう駄目なんだ無意味だったんだと悲しくなってしまうからです。

誰にも求められず追い風も波もなくたった1人だけの力で動かそうとするのしんどい。

自分はどうでも良い、自己肯定感が低いと自己満足にすら至れないようです。

 

待ってたんです。また風と流れが訪れるのを。ずっと大人しく良い子で待っていました。

自然に任せていれば年に1、2回たまに描かせてもらえるみたいです。

待ってるだけだと自分でも何がトリガーなのかわからないのですけど。

 

 

待ちぼうけ。

来るともわからない兎を切り株で待ってるのです。バカですね。

だけど「待つのはもう嫌だから自力で頑張ろう!」なんてとても言えないんです。

推進力が何もないのに目的地を目指して自分の手で船を漕ぐことが

どれだけ大変な事なのかは推して知ってください。やりたくない事です。

 

 

解離する私は自分の事を完璧に理解できるようになると思ってました。

2つにズレた私達は合体して完全体になるのだと。その時を待ってたんです。

バカでした。理解なんて無用です。カルロスは居ません。私もいません。

でも自由に動かせる肉体はあります。

 

 

完璧になれるのを、風が吹いて波が立つのを待っていたら何もできない。

でも私の船は自力で漕がないと動かないし相当しんどいから動きたくない。

ソレを理解しした上で、私は「やる」と言うのでした。

好きなのに出来ない理由とそれ故の過酷さを噛み締めていられる間はきっと大丈夫だよ。