あんの日記

不定期更新

拘泥

9月長期で休んだ後はしばらく淡々とバイトへ通い
「願わくば最後まで休みたくないなぁ…」
なんて殊勝なことを思いながらも10月に入る直前まで結構休んでました。
私がうつで仕事休むたびに親戚に迷惑かけて、母のコネだから母もうつになって
なんかもう…労働条件の良さのその先が見えてきてる今日この頃です。
トントン…か?頭下げて利益の無い母は辛いな…。

 


私の挫折と人格の崩壊→仮の人格形成と抑うつ状態、からの自覚と破壊衝動の話な。


まず3年前、大学受験の夢が行き詰り、友達と縁を切り、そういう色々が重なって
体調が急激に悪化して私の人生の基盤としてた9年続けたバイトをクビになった。
その時一瞬にして私の心と生活は虚無になった。
私はショックで自分がどうなったかわかんないというか受け入れられない。
無意識に失敗したとか挫折したとか考えるの避けてた気はする。
昔から挫折するとなかなか立ち直れないタイプだったから。
自分の能力を過大評価して見誤って志とつりあってなかったりするかも。
そんで子どもみたいに純粋な好奇心と大学生みたいなノリで挑戦して失敗して
有限な人生をリカバリーの時間に費やす羽目になったりもする。

メンタル弱い系おバカ。一番駄目なやつ…


3年経って、何もわからないけど促されるままに色々行動した。
私をなんかのゲームの駒みたいに、社会という場に置き続ける為に有益な事だった。
一度引き籠ってしまったせいで外へ出るのがしんどくて、働くのもしんどい。
だけど前向きに自分のペースで、自分と社会、自分と仕事、自分と他人
体当たりで観察を続けて、傷だらけで折り合いをつけようとしてる。
それはとても『良い事』だと思う。
真面目で淡々とし過ぎてて楽しい事が無くてうつになって死にたいし
正直社会も他人も興味もないし、ちゃんと生きるの面倒くさいからヤなんだけど
なんていうか…私の中の「常識」とか「理性」が
「死ぬまで人らしく生きたいなら絶対やっとけ」

って言ってたから判断できた。

 


理性。
主治医曰く、
「私があなたを入院させないのはあなたに『理性』があるからだ」。
診察室で理性を欠いた行動…度を越して攻撃的だったり、会話が出来なかったり
私の場合は家と区別なく母親に甘えたりする連行されるらしい…(怖)

「医者の前でそうしないから本当の事が全然伝わらない」
と母はいつも言うし医者にも「この人は自分で何もできないんです」って訴えるけど。
母は私に入院して欲しいらしい。縋りついてくる私と離れる為に。
…悪いとは思ってるんだ、母よ。
でも更に主治医曰く、「基盤を失った今、頼れるのは母親だけだから」
家では物心つかない幼児の様に振舞わせてもらえたことは無駄じゃなかったと思う。

 


えーと。
私は形だけの理性で3年間、死にたい程くそ真面目な姿勢をとってて
周りもそんな私なら手助けしてあげたいって世話してくれて、今ぎりぎりマトモです。
健気ですねぇ。どん底からのスタートとか、感動のドキュメンタリー作品にしてあげたい。
でも私の中ではあのクビにされた時から何かが止まったままなんです。
壊れたまま。古時計が壊れて、秒針が引っかかって毎秒ぴくぴくしてるような。
秒針が振動してるから「生きてる」ってわかるのに時計としては機能してない。
そんなんあるなら直して動かしたいですよね。でもなかなか動かないんです。
私が「思う」だけ、「願う」だけで、時計が本当にあるのかはわからないですけど。


私ね、なんか人生で躓いたし、世界中の誰より死にたいけど自殺もできないし
なら腹くくってこれからもうつを友の様に傍らに、ゆっくり地道に強く生きて行こう━
とかクっソみたいな事を決意しかけたんです。
間違ってました。私が全部間違ってました。そんな決意要らない。
何が友達か💢!うつなんかぶっ殺して私は私らしく正しくありたい。
私は今間違っていて、正しい自分に戻りたい!
嗚呼クソっ、こんな独りよがりの無いものねだりみたいな表現じゃなくて!
私はこの目でずっと見てきたから、自分の成否を誰より判断できます。
だから今私は正しくない!!「あの頃に戻りたい…」的な意味ではなく!!
…まあ「あの頃」は「正しい自分」だったから間違いとも言えないけど。


正しい私…私らしい私は、自分の事をどこか女王様の様に思っていた。
年いってからは西太后みたいな一線は退いたように見せかけて裏で権力握る的な…。
現実の自分をちゃんと見てるし辛い事や悩みもあるから全部じゃないけど
自己イメージ?自分でいる感覚は大体そうだった。
つまり…なんか偉そう?上から目線。自信あります。虚栄心でもあります。
でもそれが正しい私らしさだった。
だので謙虚というか卑屈で自己否定感の塊みたいな私はずっと苦しいの。
「こんなの私じゃない!」
って叫んでる…「私じゃない」とも言えないんだけど。
繋がっているけど鏡合わせの様な…(; ̄_ ̄)
でも時計の針は動かないの。
自分が今どうしてそうあるのか、あの時何故自分らしさをゴミ箱にぶち込んだのかも
大体理解できる。
上手く行かなくて挫折して理想的な自分で居られなかったのも痛いほどわかる。
なのに全然正せない。


世界がミサイルで吹っ飛んでも、私だけ正しく在れたならそれで良い。
全部木っ端微塵に何も無くなって皆が泣いて悲しんでいたとしても
正しい私が残ったなら瓦礫の上を歌いながらスキップしてやりたい。
青空だ。生まれてから初めて見た様な、宇宙まで続いてる青い空だよ。

 

お皿の縁が欲しい。
以前私は
「愛や幸せは液状で、自分は大きな皿だ。受け止める事は出来ても溜めておけない。
 私にとって愛や幸せはただの一時的な刺激でしかない」
と言った。
『と言った』時から私の頭に大きくて立派な絵のついた空想の皿がある。
前記した『時計』もしばらくはあると思う。
皿にがあれば良いのに。ほんの少しで良いから。
大きくて立派でなくていいから…縁の方を柔らかく内側に折りたたんで、小さく深く。
そんでになって、ゆくゆくはになれば良いのに。
そしたら愛も幸せも溜めておけるのに。
ちなみにこの空想は毎年の様にしてるので毎年私の皿は失われてるんだと思います。

 


そんなことを考えながら過ごしていました。
時間がとても余って、3年も余って、とにかく考える事しかできませんでした。
自分が正しくないという前提を持てず、与えてももらえなかった。
きっとこれからもそう、世界中で挫折して自分らしさをゴミ箱にぶち込んだ皆もそう。
霞の中で二つ混ざったジグソーパズルを組み立てさせられているような。
わけわかんない日々を送らせられる私です。


Hello.