あんの日記

不定期更新

ライフチャートシート

昼夜逆転が一回転して昨日から昼間起きています。
昨日はしんどかった。昼間を避けてた理由があったの思い出したし。
明るいとしんどい。みんな働いてて私はここで何してんだろう。
もっと努力しないといけないのにどうして何もしないんだろう。
みたいなことばかり考えて疲れて寝てしまうから夜に起きるようになって
でも夜は夜で際限なく孤独なので寂しくて誰かと話せたらとか外に出られたらとか
思って昼に帰ってきてはまた…を繰り返す。
仕事ないからね。やりたい事もないんだよね。余った時間が殺しに来てます。


でも今日、夢で父が死んだのです。
私は引きこもりだから家からも葬式にも出られなくて
母が「せめておときだけでも顔出して」と頼むので私は親戚たちに愛想笑いをして
家に帰りました。
帰ると玄関に白い棺桶が鎮座していました。ぞっとしました。
ふたを開けて死に顔を見るべきだろうかと逡巡しているうちに目が覚めました。

『父が死ぬ夢は、父性的なもの、権威的なものからの解放を意味します。
 これまで重くのしかかっていた圧力や権力から解放される暗示です。』

変な夢を見た後は即夢占いしてしまうのはもう癖です。
『誰か死ぬ』とかはいい夢の事が多いですからね✨

うーん確かになんか頭が軽いような気がしないでもない。
父性的なモノ「どうしてやらない」とか「なんでできない」とか「もっと頑張れ」
強制力のある応援団みたいな声とか
「だからダメなんだよ」「もとから間違ってるし」「意味ないよ」とか否定する声。
そういうものが薄くなった気がする。
季節性の…多分暖かくなったからだろう。

 

父親が死ぬ。つまり私はもう彼の声を必要としない状態なんですかね。
まぁいつまで続くかわからないしパパゾンビとしてまた出るのかもしれないけど。
私は引きこもってた間、赤子の様に無力で無抵抗で無知で
ただ乳が欲しい(満たされたい)と泣くだけの存在でした。そうなりたかったのです。
赤子に手出しできるもんならしてみろってんだ。はっはっはー。
でも横で聞こえるのは望んでいた母親のあやす声じゃなかったです。
父親の声で一言「絶対に認めない」。全否定。それだけでした。

 

私はあたかも父親と母親と私がいるように書いたけど全部私の頭の中の話です。
昼夜逆転で2週間どっちとも会ってないです。
私は赤子になりたかった。赤子がいれば母性的なものが生まれますから。陽動です。
でも父性の方が強くなりました。助けてママン。
私の心が赤子になったら現実の中年女性を維持するのに足りない。
だから正義の味方の交通課が登場して場を繋いでたのかもしれない。
現行犯逮捕。死ぬほど雁字搦めにされた。マジ死んでくれて助かった父性。

悲しい時には来ない寂しい時にも来ない。
悪い事(主観)をしている時には来る。お前の罪を数えろ許さないぞと。
警察官だった背中を見ていたからかもしれない。

 

しかし父親は偉大だ。頼もしいし頼れる。子供にとって父親は最強の盾と剣だから。
でも発達障害の親の会では見かけない。
多くの母親達は「あなたは悪くない。私が守ってあげるから、大丈夫だよ」位は
簡単に言えるしマジで実行する。(ママン…)

しかし、全員じゃないけど父親はポンコツらしい(母の会の話)
小さな部屋に籠り社会と交わろうとしない不安で不機嫌そうな灰色の目をした我が子に
「お前は悪くない。俺が守ってやるから、大丈夫だ」とは言えないんだそうです。
性差の問題か、お腹を痛めた母子の繋がりは濃いとか、子供は父親と仲が悪いとか
男は働いて金を稼ぐ係だから~みたいな古風なシステムが阻むのか知りませんけど。

 

「あなたは悪くない。私が守ってあげるから、大丈夫」

この言葉を母親から言われたらもちろん安心して涙を流すかもしれない。
でもなかなかお腹にたまらないのですよ。
もっとずっと毎日餌付けのように別の言葉で伝えてほしくなる。
でも父親から言われると…私は具合悪くて床をのた打ち回って助けを乞うていたら
突然頭を撫でられながらソウ言われたんだけど
もう貴方からは何も要らないと思った。

私が父から欲しいのはそれだけだから。
いつまでも忘れない様に父からもらった品に油性ペンで書いた。

アレですよね。ズルいと思いました。
毎日世話している母の事が大好きなのに、たまに帰る父に懐く家犬の気分
母では駄目だったのに、父は『強い』から私を許すことができて私を守れるのです。
たった一言で。


しかし、駄目です。ポンコツだから。
会えば殆ど説教するか無視するか「ゴルフする?(自分の趣味)の三択です。

素直になれない不器用ちゃんです。

もう一度言うけど父親は子供にとって強さの象徴です。
けど私の父性は私のやる事なす事全て否定ばかりするから嫌われてます。
ただし父は別に悪くはないです。アスペだけど立派に社会人してます。
アレです。背中で語るってやつです。ええ、ええ。わかってはいますけど。

お父さん、どうか口で言ってください。
俺はお前の味方で裏切らないと。お前は何も悪くないからもう苦しまなくて良いと。
『そんな甘い事を言ったら部屋から出てこなくなる』とうちの父なら思うかも。
でも私たちは不安で誰からも許されていないと思うから外に出られないので
ここに今一人最強の味方がいるよと伝えてもらえたら何か頑張れるかもしれない。
…多分。

引きこもりが外に出る時はお父さんの強さ、父性が必要です。
いつも煩い声たちを「黙って力貸せや💢」と一喝して束ねて前へ進むのです。

 

余談ですが。
妹夫婦…私の義弟は私の父親とは全く違うタイプです。
若いせいか見た目も若干中性的に見える?中身は男性だけど。
3歳の娘が癇癪起こしたら長々と説教でもなくお話ししているのを見て
「次世代は違うかもしれない…」
と期待してますけど、姪は今のところ変な傾向はなさそうです。


あーー。今までの話はすごい脱線したけど、要するに今日見た夢が
『精神的圧力や権力から解放される啓示』になればいいなァって話でした(マジかよ)
ホラ、SUPERMAN!なれるかもよw

 

 

 

 


んで、今日はカウンセリングで宿題だった『ライフチャートシート』を書いていた。
書こうとしたら、過去の事に『良い』『悪い』の判断が付けられる力がなかった。
過去はすべてもわっとしてた。それは良い事かもしれないし悪いのかも。
どっちでも良かった。

それだと書けないので、ありったけの私歴を書いて見ることにした。おさらいとして✩


↓↓↓↓

【幼少期(6歳)】
近所の障害児(年上の男児)のあしらいが下手で執拗に体を触られるなどセクハラを

受けていたが恥ずかしくて(幼くて)母親にどう言えば良いかわからなかった。
キモイキモイキモーイ(´Д`)

【小学生】
忘れ物失くしものが酷くて悩んだり、上級生からイジメられたりはしたが、
クラスやご近所は自分が『変』であることを肯定的に見てくれて
割と人気者だったのでそれほど辛い思い出になってない。
むしろ応援団長やったり、劇で主役だったり、さながら天下取りの気分。

【中学生】
小学生と比べて落ち着いた日々。オタクになってマニアックな友達とつるむ。
先輩後輩制度には全く馴染めずどちらにもビクビクしていた。(特に後輩)
エゴグラムを初めてやって『根暗な陰キャ』という結果に心底疑問を持つ程度には
自分は明るいと思っていた。
文化祭で『似顔絵』を描いたときに自分を二人描いた。(全員に何故と聞かれた)
玉のように善良な自分悪魔みたいな酷い自分を初めて見た。
成績が良かったのでとりあえず全てを大目に見られてた。
受験のストレスで抜毛癖が始まる。

【高校生】
一年の時は『中学では秀才扱いだったのにここでは落第生』
の子がほとんどで、友達にも居たのでまだ良かった。
文理で別れてからは気の合う友達がいなくなってしまった。
気は合わないけど居なくなられたら困る子とつるんでご飯食べて教室移動するだけ。
毎日つまらない。抜毛癖復活。成績下から二番目。授業はほぼ寝ている。
身体測定で『死にたい』と書いたら保健室に呼び出されて
そこからは保健室登校になる。クリニックへ通い出す。

【大学生(一年間)19歳】
校舎と授業は楽しかったし、『大学生』という肩書はありがたかった。
友達は居ないこともないがどうやったら昔みたいに他人と親しくなれるのか
わからなくなっていた。学校に行っても自分の席はなくて居場所が何処にもなかった。
ODや自傷行為が酷くなって出席もできなくなったので一年もたずに中退した。

ニート(一期)】
道で中学時代の友達(専門学校生。オタク)と偶然すれ違う。(奇跡✨)
意気投合して五人くらいで同人サークル活動を始める。
絵は描けたし、仲間とつるめるなら何でも良かった。
彼らが卒業するまでは続く。精神医療センターに転院しデイケアに通い出す。
そこでもサークルを作って絵を描いてソレを売って遊ぶ。日雇いバイトに行ったりする。

【22歳】
合唱団に入る。歌は好きだし若いのでかなりちやほやされる。30過ぎまで続けた。
面倒になって長期で休むことが多かったが、(平均年齢60歳の)暖かな笑顔に囲まれ
皆に褒めてもらえたからか人と関わることに自信もついたと思う。
(「大学に行くから」と辞めたので戻りづらい…)

【24歳】
『大人の発達障害』がメジャーになってきて主治医がやっと診断を下す。
年金が受け取れる様になる。
母が動いて、発達障害児の母の会(いなほの会)で成人女子グループを見つけ出す。
彼女たちに会ってみて、私が一番年上なのに働いてなかった事に
プライドが(やっと)傷ついて、決心して働きだす。

【25歳】
原信のレジでアルバイトを始める。
違算とか打ちミスとか作業が遅いとかまああったけど元気で愛嬌があるので
まぁ大丈夫だった。
だいたいがオバサンか女子高生なので人付き合いはそんなに苦労しなかった。
困ったのはストレスと体調の管理とコントロールが出来なくて
突然「今日から2週間休みます」とか言い出すこと。
これさえなければ今も働いていた気がする…。

【32歳】
悩める女子高生とオンラインで友達になる。
『助けてあげたい』が高じて『カウンセラーになりたい』と思って
『大学に行きたい』と突っ走る。
中高校の英語の参考書を買って勉強しだし、オープンキャンパスに行ったりする。
が、助けたい対象と連絡が取れなくなり、やる気を失って止めてしまう。
何かに成るという目標に向かって努力したりするのは楽しかったが
何故かで長続きしない気はしてた。
合唱も辞めてしまったし、自分でものめり込み過ぎた気がする。反省。

【34歳】
10年来の同じ障害の友達と仲違いする。
障害持ちの辛さを理解してくれてとても仲良くなれた人だった。
続けてバイトで「病気をちゃんと治してからまた面接に来て」と言われてクビになる。
9年近く真面目に勤めたのに酷い!とショックだったが
向こうの筋が通っていてぐぅの音も出ない…。

【35歳・ニート(二期)】
ちょうど(?)母方の実家に一人で暮らしている叔父が敗血症に掛かって入院したので
その家に居候した。主に家の掃除をしていた。(お礼に10万貰った。パソコン買った)
実家より少し都会だったけれどあまり外出する気にならず
家で絵を描いたり動画見たり引きこもっていた。
叔父が退院して自宅に戻ってデイケアに通い始める。
何とか通い続けてみて楽しさを見つけようと努力したけど無理だった。
(ゲームできる人少ないし発達障害の人いなかったし)

【36歳(~今)】
完全に引きこもりになる。バイトがなければ好きな事ができると思っていたけど
なんかもう私の好きな事が何なのかわからなくなる。
絵も描けない。漫画読めない。ゲームできない。動画も見られない。
そしてもちろん外出はできない。
社会に貢献していない人間には社会に居場所はない。
自分の家以外、私は存在を許されていない。
だから外に居場所を探して現在引きこもり支援団体の『すだちの杜』に行く。
月二回しかないのでその間は引きこもるしかないし
行って話ができたとして何になるやら…未来が見えない。

 

↓↓↓↓

 

そして出来たー❕❕人生が山あり谷ありー。
そしてこれからも続く!!どうか右肩上がりでありますように…(>_<)💦