あんの日記

不定期更新

どうせ、わたし。

そうなんですよ。
私、3か月の短期バイトの面接を受けることになりました。
仕事内容は事務…というかパソコン作業だと言われてますが、
私って、幼稚園児の時からパソコン使ってるのにネットとゲームしかできない…(T_T)
でもとりあえず文字が打てさえすればOKだそうです。


きっとコレすだちの杜に行ってみて、その中で「私が一番駄目」という
仄かな認識をした事による見栄っ張りマジックのなせる技なんです。
24の時も発達障害女子の会で同じ経験した。
その時は全員私より若かったから即座に同じ行動んだ起こしたけどね。
やはり引きこもってるだけでは前に進もうとすら思わないよ。
働くのが前進かどうかはわからないし、人生の前がどっちなのかもわからないけど
なんにせよ私は同じ土俵に立つ誰かに劣ってる自分なんて見たくないもの。
きっとすだちの杜に行ってなかったら今回の誘いも蹴ってたと思う。
刺激に感謝です。って、まだ面接受かってないけど。


酔狂にも私を雇ってくれたのは、母の従姉に当たる某大手仏壇屋の副社長でした。
私の障害の事は母から聞いていて、スーパーでバイトしてる時からたまに
「うちで働かない?」って言われていたような気がします。
そう、つまりは親のconnectionです。
引きこもって二進も三進もいかない私の仕事を世話してくれるなんて
このご時世ありがたいの一言しかないです。


母の従姉、というと少し遠い親戚なので私はあったことがありません。
仏壇屋なので老人施設(お得意様)や障害児の学校(長生きしない子もいるから)
多額の寄付したりしている人ですが、副社長(社長は旦那さん)という地位もあるので
優し気な第一印象と比べたら仕事に関しては結構怒るし厳しい人だそうです。
まぁでも今でも交流がある母曰く「全然悪い人じゃない。仲良いし」と言ってました。

 

そんな人が「何故私を?」と思いました。
え、もしかして私もお墓に入れられる…?(;゚Д゚) それは冗談ですが。
「これからお盆に向けて忙しいなって人手不足だから」と相手は言うけれど
それなら健常者で事務の資格持ってる人雇った方が良いですよね。
困っている人を放って置けない、不憫に思って…それ以外に絶対何か裏がある。
と、思ってしまうのは私が臆病で繊細で人を信頼できないからですけど。


案の定というか、母の従姉の弟さんは自殺で亡くなっていました。
もっとも、享年は60歳近いのでもしかして病気だったのかもと母は言っていましたが
精神科に長く入院していて死因は有耶無耶、となればなんとなく…みたいな。
母方の家系は自殺未遂をする人が多いなぁと思ってたけど
となると唯一完遂されたのはこの弟さんだけですね。(不謹慎)
いや別に喜んでませんよ。私も希死念慮いい加減ウザいですし辛いですし。
親近感は抱きますけどね、故人ですけどね。


「だからかも。違うかも。」と母は言います。
「弟は自殺したのかとか絶対言うなよ?」と釘刺されてます💧 
いくら口の軽い私でも親しくない人にそんな事言いませんよ。
なのでここに書きました。(言いたい聞きたい)

 

とにかく真相は闇の中でした。
面接兼仕事の説明は26日です。母も同伴です。
周りの社員さんには「障害がある人をバイトで雇う」と説明するそうです。
私は今まで障害の事はなんとなくオフで誤魔化してきたので、
大っぴらに「障害があります」と言って働く、所謂障害者雇用は初めてです。
しかも母の従姉も社員さんも多分発達障害に対してはよく知らないです。
まあ言うてもバイトだし、コネだし、多分障害云々というより
「真面目で大人しいけど仕事はミスが多くて遅い」という評価になる気はするけど。
何もわからない社員さんたちに『障害者です』と突き付けたら
腫れものを触るような接し方をされるのか、無視されるのか
はたまた好奇の目で見られたり…私には予想もつかなくて怖いのです。
まだ面接受かってないのに自分が怒られている様子が目に浮かぶのですが…💧

 

正直怖くて不安であまり乗り気じゃありません。
だけどやらなきゃいけないと思います。…能力不足で面接落ちたら仕方ないですが。
自分の自分による自分の為の自分をとことん追求する私と、
社会の多くの人達の中、小さな役目を全然上手くできなくて四苦八苦する私
そういう二つ仮面を持っていなければ精神のバランスが保てなくて
生きて行けなくなる事なんて、14の頃から知ってた。
本当は一個に絞りたいけど、気に食わなくてもこの生き方が一番だと学んだから。
とりあえず、面接通るように頑張りたい。

 

 


きっと私は自分の望みを叶えられなくて幸せにはなれない。
とっくに私はになってしまったのかも。
ここで終わらせた方が少しは楽になるかも
でも私、死にたいけど本当は全然死にたくないから死ねない。
だけど何をどうしても何かは満たされない。渇く。だから苦しくて暴れている。

 「貴女は生みの苦しみを背負っている。
  いつも何かを生み出す為に貴女は苦しんでいるんですね。」

昔カウンセラーのTさんに言われた。
くそったれに死にたくて自分を罵倒して傷付けたいだけの日々だけど
たまに作品を見せるとそう言って褒めてくれた。
そうだったら、本当に私がそういう人間なんだったら、いくら苦しくても良かった。
生きてて上手くいかない事を煮詰めて真っ黒い炭にして、それで絵やら文を描く。
辛いのは「生みの苦しみ」で、ちゃんと意味がある自分なのなら耐えられた。


でもTさんはもういない。私を正しく見てくれる(と信頼できる)人はもういない。
私は自分が誰なのかを完全に見失って、毎日母に「ちゃんと愛してよ!」と叫ぶ。
母は私のこと全然好きではないけど、多分動けなくなるまで面倒見るだろうし
動けなくなっても心配をしてくれるのに、私はずっと酷い言葉をぶつける。
褒めて喜ばせるより、傷つけたり怒らせたりする方が私を見てくれるから。


「いっそお母さんを殺して食べたい」
年に一度は沸き起こる衝動。自分の不完全さに耐えられなくなる。
殺す気も食べる気も微塵もないけど、夢想する。
きっとお母さんを食べたら私は揺るぎない安心を手に入れられる。
自尊心が低いのは直らないけど、駄目な自分でも許して受け止められる。


もし揺るぎない自信、自己肯定感を手に入れたきゃ父親を食べるしかないけど
なんか世界で一番不味そうだと思う。
なんで人間は子供が両親を食べて完全体になっていく生態じゃないんだろうか。
それにしたってまぁ個人差は出るんだろうな。