あんの日記

不定期更新

汝は罪人なりや?

 

土日は絵を描いてました。

 

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鬼滅の刃のキャラとうちの子(夢主)です。
厳密にいえば五代は鬼滅夢主ではないのですが
おっぱいの格差社会の影響で本家はリストラされました。南無…。

 

先日私は友達の絵が上達していたり、人に見せる場があることに嫉妬しました。
でも友達は、なんというか絵と関係ない仕事してるのに、
職場で絵が上手い事が知れ渡ってて、宣伝用のチラシとか自分でポップ描いたり
何故かいつも絵の締め切りが迫ってるイラストレーターみたいな環境にいる

んですよね。
そりゃ否が応にも上手くなるだろうなぁと思いました。
この夏も仕事忙しかったみたいです。お疲れ様です。


彼女も私も絵が好きです。「描きたくないー」って言いながら描いてるのも一緒。
でも彼女は「絵が上手くなりたい、勉強しよう、努力しよう」ってちゃんと結果出す。
そういうコツコツした努力をちゃんと出来る人です。
そして当たり前の様な顔をしているのです。

コツコツ努力して結果を出すのはそんなに特別な事じゃないと思う。
でも私にはできない。『努力なんて必要ない』と思うからだ。
奢りとか根拠のない自信ものせいもあるけど、
私は学生時代努力をあまりしたことがなかった。
頭が良かったから勉強しなくて良かったのと、
メンタルが弱くて努力しないといけない所ですぐに諦めたのと。

というわけもあり「努力」とか「頑張る」みたいなのは基本私はしない。
全ての事は今のレベルで全然いいと思ってる。
ただ「同じ境遇なのに自分の方が格下」みたいなのに直面して
「許されない」と強く思った時は見栄と体裁のために動く。
もう一つは…誰かを「尊敬」?した時。


無駄なことばかりして派手に大騒ぎしてあとに何も残らない人生を送る私にとって
友達は『普通過ぎた』。私もなりたかったけど無理で、それが羨ましかった。
私にできない事を当たり前になんでもする生き方をみて
「彼女はきっと神様なんだ」と思った。
神が人の形をしているのは神様が人間良いところの寄せ集めだかららしいし。
だからきっとどんな人間の中にも「この人は神様」と思うところはあるわけで。

私は神様にはなれなくても、友達兼神様と肩を並べて歩きたいと思った。
でも私は絵を描いていなかった。

ていうか何もしてなかった。ひたすら現実逃避してた。
追いかけたいと思ってとりあえず描いてみたけど…やっぱりしんどかった。


絵を描くのはいつもつらいけど

今日は現実を真面目に生きない罪を犯した私に罰が下ったんだと思った。
私は今まで現実にはいなかった。昼夜逆転引き籠りだったし。
過度のストレスで万華鏡の中に眼球を落とした様な世界にいた。
辛く苦しく逃げ場はなかったけれど、ただ美しかった。
だけど秋になってストレスが減って私の目玉はもう顔の窪みに収まった。

神様にそばに行きたい。近づきたい。
新しい望み。そしてそれがまた罪だった。

罪を犯せば罰が与えられる。みんな許されたい。そのための罰だ。
きっと私が絵を描くことは罰で、嫌でも我慢して描く努力することで許される。
そう思えばなんとか頑張れそうな気がする。

そういえば。写経とかアレ書いたら神様に奉納すんじゃん。
そんな感じ。もちろん仏陀にはやらないけど。
私のが思う「人の中にある神様」に奉納する的な。
自分は『意味がある』事をしているのだと、言い聞かせて乗り切ります。
…何を?
季節の変わり目を。この時期は急に陸に取り残された両生類みたいな心地で
エラ呼吸から肺呼吸に切り替えるのが辛いのです。

 

私は今、現実にいることを許されていない。
本当は絵を描いたって何したって誰も許してなんかくれない。
だって私の本当の罪は私だって知らないから。
私は無実だと言いたい。でもこの罪悪感は何なんだ。
罪。罪。罪。

〝罪を知るものに罪はない。では汝に問う。汝は罪人なりや?〟

自分の罪が何なのかよくわからないけど、私は罪人だ。
だってこんなに許されたがっている。
大きなものに「もういいよ」「貴女は悪くない」「大丈夫だよ」って保護されたい。

 


叶わない願いだ。

とにかく絵を描くよ。