今日はどうだろうか。
死にたいか。殺したいか。顎が痛いか。悲しいか。イライラしているか。
コントロール不能な感情は少し収まってきたように思う。
あー顎はね、なんか痛いの。動かすと痛くて笑えないくらい。
いつもの虫歯の痛みと違う、神経の痛みがする。喉まで来てるし。
でも歯医者行ってもどうせ『ストレス』って言われるから我慢です。
母が壊れた。私が壊した。全力で壊した。
壊す気はなかった。けど粉々にしたいとは思ってた。
父に怒られた。修理に出せば元に戻るかもしれない。
お風呂入って、俳句を考える。
今回のお題は『節分』。
・向き合いて 独り豆打つ 鏡中の鬼
・節分の 鬼が父だと みな本気
・鬼は外 もみじの手から 福溢る
今回は暗い句は1個にした。ちょっと捻るの疲れて…。
あのねー。
私は節分になると鏡に映った自分に豆をぶつけてるの。
自分の中にこそ鬼が居ると思うからです。
オマエが鬼でないなら、そもそも鬼なんてものは存在しないか
私にとってはそこまで縁も害も無いものなんだろうと思う。
虚像に投げても、鏡が邪魔で豆は当たらないんだけどね。
自分の中にいる私を苦しめるものを退治しようと思うこと。
改めて鏡をみて、そこにはっきり映ってるけど居るのかいないのか
全然自信が持てない自分と敵対して、攻撃すること。
敵は自分であり、他人であると認識すること。
鏡の中の明確な敵意を持った自分が怖いです…(;´Д`)
誰も自分の目ん玉の奥の事なんて気にせずに生きてる。
まぁ私が自分から目を逸らして今更現実を見たって
私には何処にでも苦しみを見出す才能があるから意味はないと思うけど。
皆の分も私はとことん自分の内面をみていたい。
私が人間であるかぎり、万物はそこにあると私は思うから。
これが10年以上続いてる節分のジンクス。
毎年ずっと、2月の私の心には確かに鬼が居る。
過去も、今年も、これからもずっと、鬼はいる。
心に鬼がいて、それで長年苦しんで、死にたくて、半分死んてるみたいで
人生は別に素晴らしくなくて、生きるに値しないひたすら長い時間で
じゃあどうして自殺しなかったのかって鏡に映った自分に問いかける。
どうして死ななかったか。
例えばやっぱり生きたかったから。死ぬのが怖かったから。
苦痛を我慢するのに慣れたから。希望を捨てられなかったから。
9:1で苦痛しかなくても、死ねなくなってしまう程に美しいものはある。
逆にほんの少ししか見られないから、やたら綺麗で泣く。
わたしこんなにまっくらなのにせかいはどうしてこんなにきれい。
人生の9:1は正露丸(糖衣)と真珠で出来てる数珠。
毎日にっがい( ゚皿゚)💦
そして10%の玉のような…なんだ、良いもの。とにかく良いもの。
ダイヤモンドの様なきらきらして希少価値も値段も高いとかじゃないけど
真珠とかって古くなっても代々母から子に子から孫にあげたり
誰かを、特に娘を、想う特別な…なんかそういう感じ。
ダイヤは持ってなくても別に困らないけど
真珠は白黒持ってると冠婚葬祭で役に立つしね💍。(脱線脱線)
リアルの知り合いの人にはちょっと自信なくて聞けないけど
ブログでの私ってすごく人間らしいと思いませんか?
愚かで、弱くて、臆病で、泣き虫、狡くて、汚くて、浅はかで、見栄っ張り、
情が深くて、情に翻弄されて、なんか惨めで悲しい生き物だけど
私は好きですよ(^_^)
そしていつか
世界中の人たちをこの手でただの人間に引ん剝くのが
私の野望です✨👹✨