あんの日記

不定期更新

なにこれ…

うううううううううううう

死にたい。


30越えて、体の節々に来る老いや、この先の健康のこととか
考え始めた今日この頃、私はとても死にたいです。
私のは『自殺願望』じゃなくて自殺念慮と言いますけど。
『自殺とかしないけど、なんとなくいつもなんか死にたい気分』
ってやつです。


そういえば私は発達障害という面倒くさい障害を持っていて
国から年金という形で支援を受けて生きています。
この障害、本人が周りと自分との違いに気が付いてそれを
悪い方に捉えてしまうと何らかの形で生活に問題が出ます。

私は高校からでしたが、その頃はアスぺとかADHDの事なんて
知りませんでしたからもう病みに病みまくって大変でした。
自分は不死身だっ!とか言って病院で胃洗浄してました(苦笑)
私は生まれてくるべきじゃなかったんだと思ってて
頭の毛を全部剃って、薬瓶を丸呑みしてダウナーウォーキング
この世の神様になれる買い物して、それでもだめなら根性焼き
え?お金?家にたくさんあったよ?私のじゃないけれど。

でも私とってもいい子だったのですよ。
だって両親や祖父母のいうこと必死で聞いてたもん。
答えられなかったけど。私はもうバケモノだったから。

23歳くらいの時に当時の主治医のヤブ医者から
『あなたは発達障害です…あれ?言わなかったっけ?』
って言われて、国からお金いっぱいもらって、
便利な青い手帳ももらって、2か月に一回生活費もらえて
『あなたはもう普通のみたいに頑張らなくてもいいから』
って市役所から言われた気がしました。

なんだろうね。
ラソンで、先頭集団についていけなくなった時の様な
気分だったよ。
全然走ってけんだけどさ。なんかさ。


私ね、高校がね、県下一、二を争う進学校だったんだよ。
田舎のだけどね。行く人は東大とかも行ってたんだよ。
私結構頭良かったのよ。高校受験楽しいっ!ってくらいに。
それアイデンティティになってたから、自分天才だと思ってた。
高校入って周り皆天才で目が覚めたけど(笑)

まああとは運が悪かったね。
まだ綺麗な腕だった私の友達がリストカッターだったりとか。
自傷行為を教わったとかはないけど、鬱屈とした人だったね。
でも友達ってそんなすぐできないじゃん?
私は、朝挨拶してくれて、一緒に教室移動してくれて、
一緒に弁当食べてくれれば、十分だったから。
でも下校は一緒にしたくないからわざと距離あけて帰ってたw


なんか悲しい十数年でした。
今でも、今日みたいに思いだして、死んでしまいたくなります。
あの時死んでおけば今苦しまなかったのに、とか思います。
でも私は今、全く楽しく無いんだけど、それは私の見方で、
実はこれは傍からみたら楽しい人生なのかもしれません。
あるいは私は楽しいことが苦痛なのかもしれません。
だって嘘だから。楽しいことなんて。
私の目にも手にもかすりもしないんだもの。


死なない私は、今日も死ぬってどんな感じかを考える。
それってとってもファンタジー!!
きっと痛いでしょうね。苦しいでしょうね。
だから私は少しずつ舐めて、その味を楽しんでいます。
お父さんも『最後はどうせ死ぬんだから』って言います。
お母さんも『長生きなんてしたくない』って言います。
だから誰も彼も生き物は皆ほんの少し死にたいんだと思います。

 

誰も悪くはありません。
だから、私も悪くないのです。