あんの日記

不定期更新

沼の底

凄い辛くて頑張って生きた。
けど見返りが何もなくて参った。
私が生きたいから生きただけで
別に死んでも誰も文句言わないんだった。
褒めてくれ。誰か。いや、別に良いや。死にたいんだ。殺してくれ。


「息をするのに許可がいる」ってのは伊達じゃない。
誰の許可だろうね。
でもよくわかんない大きな機械とか、動かして良いかわかんないじゃん?
責任者の許可欲しいじゃん?そんな感じ。いやそれ私の体だけど。
責任者私のはずだけど。


そう思うと、何かが見える。
いつもの自分ドロッとした黒い生き物が心の底でこちらを見ている。
怒っているのか、とりあえず眼光は蛇のように鋭い。
どうして私はこの「自分が誰かわからない」状態になると
正規の自分を化け物みたいに想像するのか。凄いしっくりくるけど。
私って化け物なの?
…「YES」と答える人は何人かいるでしょう。特に世話になってる人に。


ああでもやっと見えた。自分。良かった。
回復期に入るといつも目を閉じてベッドでじっとして
頭の中でイメージをいくつも作っては当てはまるものを探してんだけど
なかなかこちらからの呼びかけだけでは応答がない。
でもとりあえず確認は出来たから後は手を繋ぐとか
安定した接続を維持できれば普通の生活に戻れると思う。


折角。
良い子の仮面がはがれて自由になったのに、
結局はまた元の良い子の自分に戻ろうとするんだね。愚かだね。
まあ長いからね。そう生きた時間が。
それに一応はお天道様の元を歩いている
「療養中」と言えば世間様にも説明がつく真っ当な道ではあるもんね。

 

仮面がない…つまり今のご時世「マスクしてない」に近い。
皆に注意されるし入店を止められるけど
理由があるからマスクの類は出来ない。
相手も渋々引き下がる。なるべく人と密にならぬよう釘を刺される。
皆も「うわっ」って顔して距離を置いてくる。
もし貴方がそうなったら外出たくなくなるよね。
この障害の不便さを人に説明するのには良さそうなたとえ。


「自分が誰だかわからない」自己同一性の障害。
アイデンティティ、人格の障害。人格障害…。
今のレミパン発達障害あるある」とか言って診断名を「発達障害」で
統合しようとしてるけど…私の一番厄介な問題はコレじゃないかと思う。
だって発達障害「聴覚過敏、視覚過敏、自閉傾向のせいで
周りの空気読めない、相手の感情を察する事が出来ない等々」
私にもあるけど、私は「出来ない人」の演技適当な愛想も振りまけるから
誤魔化すの得意で、まあ恥をかく事は多いけどそこまで困ってない。


社会で適応できない一番の問題は感情の浮き沈みが激しくて疲れたり
昨日と自分が「違う」ことで急に家から出られなくなることだから
人格障害の方が問題なんじゃないかと思ってる。
医者によって「人格障害」って診断はあったりなかったりするから
もう私が決めます。ポンコツどもに診断されんのはもううんざりだ。


ちな『自己同一性』に障害が「ない」場合。
私は私であるし、これこそが他ならぬ私であると自覚できる。
私で良いという肯定感と、これからも私でやっていける自信がある。
私はまわりからも受けいれられているし、私は社会にとっても

意味のある人間であるという自己の存在感や有能感をもっている。
さらには健康な自己愛の感覚として、この私が好きであると受容し、
私らしさがあるという実感をもっている。
そんな感じらしいんだけど…(;・∀・)
私も調子が良い時は当てはまるよ。
そうじゃ無い時があるだけで…。

 

 


息も出来ないけど、顏がもとに戻るのを待っている。


顏が無ければ何処へも行けぬ。
戻る道があるだけ助かったと思へよ。


けっ。