*希死念慮が煩い時にたまに書く奴。
(1)簡単に自分の人生を振り返る
(一言で語るのが最善だが、初心者は2・3行になっても構わない)
私は変わり者だからどうしても人に迷惑をかけないと生きられませんでした。
なのに私の見栄っ張りで我儘な性は、誰からの助けも拒みました。
それに私は生まれてから死ぬまで何も変わりたくなかったのです。
(2)自殺に至る大きな原因について触れる
(紆余曲折は割愛すること。核心から逸れる恐れがあるから)
アルバイトをクビになって、どうしても次の職に就く気が起こらず
家で寝ててもちっとも面白くなくて、自分の将来にも何も望めませんでした。
それに、最初にこの文を読むだろう両親はとっくに承知の事とは
思いますが、私は高校の頃からずっと死について考えていました。
それが今回、大きなふり幅で幸運な事にも達成されたのです。
(3)原因から決意に至るまでの心の動きを語る(矛盾が発生する可能性があるので、曖昧に)
何度か練習はしていたのでこの方法が一番と思い首吊りにしました。
練習通りに出来たでしょうか。粗相をしていたらごめんなさい。
薬もお酒もたくさん飲んだので生きる事より苦しくはなかったと思います。
(4)最後に一言(辞世の句が最善。宛先・人は特定しないほうが上品)
もし地縛霊とかにされてしまったらなるべく怖そうな人から
除霊してもらってください。
父が部屋に住むと私の霊は苦しむと思います。嫌いなんで。
(5)日付と名前(忘れると心残りで死にきれない)
2021/2/10 あん
このテンプレートの元のサイトがGoogleで探しても無くて
仕方なく自分のブログ漁ってたら出てきたから今日やったんだけど…。
今日はそこまで死にたくなかったからなかなか難しかったです(;´∀`)
(3)がムズイ。
私は割と臨戦態勢なので死は母親みたいにすぐそばに居るので。
もし本当に死ぬとしたら決意とか無くて
裏の土手の信濃川の流れがずっとにあり続けるように
時間がずっと止まらずに進み続けるように、とにかく当たり前の事の様に
自分に気づかれない様に肉体を捨てる準備をするだけです。
今日はデイケア休みました。
水曜はもう無理かもしれんな(=_=)
ヨガとかDVD見せられてもやる気起きなくて辛いんです。
創作の時間も絵も描くの嫌になってきたし。
誰かが相手してくれないと暇を潰せない…。
前は作品作れてたのに、また私は具合が悪くなったのかな?
よくわからないけど原因の5割は眼鏡ぇさんと仙宣さんが
デイケアに来なくなって話す人が居なくなったせいだと
思う(T_T)
カムバック眼鏡ぇさん…アクキー届いたよ😢
漫画は面白いしたくさんあるから暇が潰せるけど
自分が登場しない(共感できるのは敗者弱者愚か者…)から
何処か虚しいと前に言ってた気がするし
そうだなと思ったので今日は自分の物語を読むかと思い立って
pixiv縛りをしてブログ読んでました。
pixivは人の欲が具現化された場所…湯水のように注がれる美しい熱湯で
魂の煮沸ができるけどウィンドウ閉じると一瞬で無になる。夢は夢さ…
ああでもお手軽に『夢を追いかける』場でもあるね(*´艸`)
言葉同じでも意味が違うけど(笑)
で自分の日記を読み返すとまあ辛い。
読んでてわかることはつまり
『私は幸せに成れない』
って事でした。(´;ω;`)
うんざりするほど「死にたい・つらい・もう嫌だ・怖い」しか書いてない。
良い事も、楽しい事もたまには起こってるんだと思う。
でも私は自分が体験したことや実際に見たものより
自分の内面に焦点を当てて書いてるから、
ディズニーランドに居ても、バイトで汗を流してやりがいを感じても、
可愛いのんちゃんがお膝に居ても、たまに一人で焼き肉屋に居ても
何処で何してても心を覗けばいつでもそこに
「死にたい・つらい・もう嫌だ・怖い」がある。
幸せでも死にたいんだと思う。
何か不幸な事があるとかでなく、そういう精神構造をしているのだと思う。
だって自分の操縦席は常に無人で、内面は何重にもなる入れ子構造に
なってるせいで意識的に操れる部分は本当に中心から遠くて
頻繁に自分が何者かわからなくなるし何者でもないってことを忘れる。
現実には居るけど、心のどこにも私は居ない。
流石に体からは出られないから、解離でもしてない限り
この中の何処かには居るかなと思ってる。
コレが正しい私。死にたくなる理由のちゃんとある私で何も間違いはない。
多分すぐ忘れると思う。
希死念慮の仕組みとかも感覚的なものだから。
元気があれば何でもできる!!って偉い人が言ってたけどそれは本当で
体が動くようになれば過度な繊細さは気にならなくなる。
でも『自分が居ない』ってとても寂しいもんだよ(´;ω;`)
健常者でも幸せな時に不安や悲しみが全部なくなるわけじゃない。
完璧な幸せなんてない。それと同じ。
私にも幸せはいっぱいあるけどどんな時もちょっぴり死にたいだけ。
ただ私の日記はどの日付でも幸せになろうとしてもがいていた。
それがなんか悲しかった。
まるで羽も無いのに『空を飛ぶにはどうしたら良いか』を
ずっと考えて悩んで落ち込んで怒ってるみたいな自分を文字で見て泣けた。
私は常に上だけ見てる。前は見てない。
「駄目ってどっかでわかってても、
諦められないんだなぁこの人…」
と思った。
生き物が懸命に生きようとするのと同じで
私が幸せになろうとするのも必然なんだろう。
過去の日付の私達は皆自分が(完璧かつ永続的な)幸せになれない事を
知ってるけど考える余裕も無くとにかく必死で生きてる様に見えた。
バカみたいに健気だなぁと思った。
なんかもう行く道がわからず身動きが取れなくて苦しんでいる今も
必死で幸せになるために私は生きている。
『幸せになる事』
それが私の唯一の空なのだと思う。
出来ないからこそ憧れるのかもしれない。
そんできっと私の(完璧かつ永続的な)幸せは件の操縦席にある。
あの席に座って、自分を思うがままに操って、現実を思うままに旅して
話したい人と話して、やりたい事をやれたら幸せになれると思う。
完璧じゃなくても、似たことならきっと出来ると思う。