あんの日記

不定期更新

心の底からどうでも良い事

別に何も問題は無い。
殺してほしい子供と殺したい子供がいる。
私は多分それを見てる。
今は衝動を抑えられている。
薬の量は少し増えた。


何も感じない。
何も感じないと時間は長い。
+の感情は実に良い暇つぶしになる。
-の感情は何も感じないより辛いけど今は思い出せない。
思いだしたくはない。
引きずられそうで怖いから。


私が何をしたというんだろう。
仏教国に生まれたけど、苦しみを追い詰めると
何故か原罪にたどり着く。
人は生まれながらにして罪を抱えている。
キリストも私と同じ人間だったということだ。

私は多分生まれたことが間違いだった。
この生を全うするのに足りる生命力を持ってなかった。
だから罰される。辛い罰だ。しかも許されない。
ずっと苦しい。


って文章何回書いただろう。
何十年も同じこと書いてる。
写経?免罪符?飽きもせずに死にたい死にたいって。
でも何で私は死んでないんだろう?
死のうとしたことはあるけどやっぱり死んでない。
どうして死なないの?


自殺念慮私のは「違う」って先生に言われたけど。
死ぬ気はないのに「死にたい」って思いに取り憑かれる。
ため息と共に「死にたい…」って言うのが癖になる。
そんな自殺願望までの中間素材病状。
下らない。チョー下らない。
さっさと死ねばいいんだ。べーっだ。


私はどうして殺してほしいんだろう。
自分で死ねないの?あ、これ前も考えたことある~。
まあいいよ。また考えよう。
私怒ってるの。
私を真空圧縮密閉してコテンパンにした奴らに対して。
だから私ボロボロなの。
ストレス掛けられながらずっと思ってた。
「いっそ殺せ」って。
でも突然私は解放された。奴らはいなくなった。
全然嬉しくなかった。殴られてた方がマシだった。
奴らを殺したいと思えない。愛していたから。
どうして殺してくれなかったのか。
そればかりで悲しいし、強い怒りもそのままだ。


私は完璧を愛している。
他者と比べても「人間」である事を疑われることもなく
子供であり社会人であり部下であり友達である。
どの役割もこなせるはずである。
(人からは「変っている」とか言われるがそれを含めて
 完璧な自分なので問題なく完璧なのだ)


なのに殺してほしいだなんて。
これは私が毎日必死で保っている完璧が崩れる思考だ。
私は殺してほしいなんて思ってはいけない。
それは私ではない。


もし私が「殺してほしい」なんて思っているのなら
私は仕様を変更しなければならない。
新しい完璧になる。そういうこともあるもんだ完璧。
妥協は必要だ。不安定は怖い。
人間の自我なんていつ壊れてしまうかわからない。
脆いものなんだ。
だからもし異変が起こっても許容することを私は学んだ。
壊れた私の上からまた新しい皮をかぶればいいのだ。
私は擬態は得意だ。誰にも気づかれない。


私は燃えて溶けて、新しい私になる。
それまでもう少し掛かる。
殺してほしい私を殺す私。
それを核にした灰色の自分。

いつもの自分。


秋と冬。